万葉の花 flower story

2019 / 08 / 10  20:58

「新田部親王の婦人 蓮」巻十六 3835(8月はす)

 勝間田の池は 我知る 蓮無し

 然言ふ君が 鬢無きが如

  新田部新王の婦人(巻十六 3835)

<訳>

あなたは勝間田の池の蓮が美しく咲いているとおっしゃいますが、

勝間田の池は私もよく存じております。蓮なんてございません。

そうおっしゃるあなたのお顔にはお髭がないのと同じでございます。

◯勝間田池:詳細不明。奈良市西の京、唐招提寺と薬師寺の近くにあったという池。

 また、現存する薬師寺南西の七条大池のことともいわれる。

 七条大池は、池越しに薬師寺の伽藍、遠くに若草山、春日山原始林など、奈良を代表する羨望で有名。

 

新田部親王の婦人

◯婦人(をみなめ):ご寵愛の婦人のことをさす。

◯新田部親王(にいたべしんのう):

 生年不明、天平七(735)年没。

 奈良時代に生きた天武天皇の第7皇子。母は藤原鎌足の娘、五百重娘(おいえのいらつめ)。

 舎人(とねり)親王とともに、のちの聖武天皇である皇太子首(おびとの)皇子を補佐。

 藤原不比等(ふひと)の死後、軍事を掌握し、神亀六(729)年の長屋王の変では王を尋問した。天平三(731)年に畿内大惣管となる。

 唐招提寺は親王の旧宅跡を鑑真に授けて建てられたものである。

  

<背景>

新田部親王が勝間田の池で見た蓮があまりにも美しかったので、

「水影涛々 蓮花灼々 何怜断腸 不可得言」

(勝間田池の水面の影は波に揺れ、蓮の花は美しく咲いていて、その面白きこと言葉に尽くせないほどだった。)

と語るなかで、中国語発話で同じ音である、蓮(れん[lien])と恋(れん[lien])をかけて思わせぶりに詠んだことに対し、

婦人が「気持ちなんてちっともないでしょうに」と戯歌を作って軽くいなして応えたもの。

◯「我知る」:挿入文。勝間田の池の蓮花を讃美されて言われたことを指す。

◯「鬢無きが如」:鬢(びん)は耳の際の毛のこと。実際の親王は髭鬢が多いのを戯れている。

IMG_9305.JPG

 

蓮 について

葉月、お盆 について

2019 / 08 / 10  20:48

「蓮」(8月はす)

「蓮」(古名はちす。ハス科の多年草)

原産はインド、または中国。有史以前に中国から渡来した(『古事記』)。

花は芳香があり、夜明けとともに開き夕方には閉じる。

花が散った後は、花托の上面に、蜂の巣状の果実をつけることから、はちすと名がついた。

『万葉集』ではすべて古名「はちす」という呼び名で詠まれている。

「はす」の呼び名は平安時代後期以降についた。

葉は大きく、長く伸びた地下茎は蓮根になる。蓮の実、蓮根は、ともに食用とされる。

IMG_20180626_125146.jpg

 

2019 / 08 / 09  14:17

「葉月」「お盆」(8月はす)

「葉月」(はづき)

旧暦八月の別称。葉落(はちお)月、穂張(ほは)月、初来(はつき)月の略といわれる。

英語のAugustは、帝政ローマ初代皇帝のガイウス・ジュリアス・オクタビアヌスの尊称アウグストゥス("Augustus"=尊厳のある者)で、自身の名誉記念し、本来はセクリテイスであったのを取り替えて命名した。かのジュリアス・シーザーの養子だったので、

ユリウス暦を制定したジュリアス・シーザーは、自身の生まれ月である7月をJuly(ジュリアスの月)とした。

養子のアウグストゥスは、誤って運用されていたユリウス暦の運用を修正するとともに、自身の生まれ月である8月を自分の名前に変更し、それまで30日であった日数も31日に変更した。

 

「お盆」

陰暦七月十五日(2019年は8月15日)を中心とした、精霊まつりとも祖霊まつりとも呼ばれる。

先祖の霊をお迎え供物を供えて慰める日本固有の魂まつりの風習と、仏教の盂蘭盆会が結合した、今のお盆の形となっている。

十一日:盆花とり(精霊棚に飾る秋花を祖先の霊が漂う山に入って摘む)

十三日:精霊迎え(供物や精霊棚を飾り、迎え火をたく)

十五日:盆、中元(迎え火の煙とともに家に帰ってきた先祖の霊を労る)

十六日:送り盆、送り火(先祖の霊を送る)

送り火の行事として、灯篭流しや、京都の大文字焼きがある。

各地で行われている盆踊りは、もともと盆に訪れる神や霊魂を迎え慰める為に捧げられもので、神迎えと神送りの踊りが中心。

 

「盂蘭盆会」

陰暦七月十五日(2019年は8月15日)を中心とする、精霊祭。

六月晦日の夏越の後に来る初秋の行事。

一年を半期ずつに分けて、前期の始まりが正月、後期の始まりが盆。

本来、正月は祖霊を歳神とし、盆は生御霊に感謝し、家族の繁栄を祈る風習だった。

仏教伝来により、606年に推古天皇が日本で初めて盂蘭盆会を行い、先祖霊を祭る盂蘭盆の思想が民間にも普及したため、

「盆」といえば盂蘭盆を指すようになった。

盂蘭盆:abalambana(梵)が転訛したullabanaの音訳。倒懸(逆さ吊り)の意味。

    釈迦の弟子の目連が、餓鬼道に落ちて倒懸の苦を受けていた母の霊のために

    仏陀に救いを求めたという伝説に基づく。

 盆 :ボンは古くはボニと呼ばれる供物を乗せる器の名称。

 盆花:昔は百草が生い茂っている裏山から故人の精霊がお帰りになると考えられ、

    墓地の草を刈り、道の草も刈ってお迎えした。

    その道の両側に咲いている草花を盆花と呼び、故人が我家へお帰りになる時の道しるべとなった。

    このため灯籠草(ホオズキ)、桔梗、女郎花、萩などの秋草が多く飾られる。

IMG_3913.JPG

2019 / 06 / 30  17:51

「柿本人麻呂 七夕」巻十 2040(7月ほおずき)

 牽牛(ひこぼし)と 織女(たなばたつめ)と 今夜逢ふ

 天の河門(かわと)に 波立つな ゆめ

  柿本朝臣人麻呂(巻十 2040)

<訳>

牽牛星と織女星がやっと逢える七夕の今宵、天の川の渡し場に、どうか波など立ててくださいますな。

(せっかくの逢瀬がかなわなくなってしまいますから。)

<背景>

七月七日の夜、いつもは天の川を中心にして隔たっている牽牛星と織女星が年一回だけ会えるという中国伝来の故事にちなむこの日、宮廷では華やかに雅会が催された。

七夕歌は天武持統朝から盛んに宴席で作られるようになったとみられ、

万葉集には132首もの七夕歌がある。

柿本人麻呂

生没年、経歴は未詳。大化元(645)年前後の生まれらしい。

天武朝から持統文武朝にかけて活躍した宮廷歌人。古代豪族和邇氏から出た粟田・小野氏らとの同族。

出身地は天理市櫟本(いちのもと)町。

天武天皇十三(684)年、臣(おみ)姓より、朝臣姓を賜る。

声の歌の要素の大きい初期の万葉から、文字に書かれる歌へと転換期にあって、抒情的な歌を多く作っている。

古来、和歌の神として尊崇され、

大伴家持は倭歌の学びの道を「山柿之門」(万葉集巻十七)と称し、

紀貫之は「うたのひじり」(古今集仮名序)と呼び、

藤原俊成は時代を超越した「歌聖」(古代風躰集)として仰いだ。

 柿本人麻呂(狩野探幽『三十六歌仙額』).jpg

(狩野探幽『三十六歌仙額』柿本人麻呂)

2019 / 06 / 30  17:30

「七夕」(7月ほおずき)

「七夕」(ナヌカノヨ、シチセキ、シッセキ、タナバタ)

中国に古くから伝わる天上界のお星様のお祭り。

一年に一席旧暦七月七日の夜、織女星(琴座ヴェガ)が銀河を渡って牽牛星(鷲座アルタイル)に逢いに来るという七夕伝説と、織女星を祭って裁縫や書道などの技芸の上達を願う「乞巧奠(きこうでん)」の行事が一緒になったもの。

この風習は奈良時代(5〜6世紀頃)に機織の技術を伝えた渡来人によって日本にもたらされた。

さらに日本固有の一年に一度、神に捧げるための衣を乙女が織って豊作を祈る「棚機女(たなばたつめ)」の信仰と、牽牛織女の逢瀬を願う風習が重なりあって「七夕」が「たなばた」と呼ばれるようになった。

(歌川広重 名所江戸八景「市中繁栄七夕祭」).jpg(歌川広重 名所江戸八景「市中繁栄七夕祭」)

161104164537-581c3ca182a1d.png

石草流 七夕のしつらい(写真をクリックで拡大表示できます。)

⇨ 石草流のほかの写真はこちら 

1 2 3 4