万葉の花 flower story

2019 / 11 / 01  20:57

「黒酒白酒」巻十九 4275(11月 クサギ)

 

  天地(あめつち)と 久しきまでに 万代(よろずよ)に

  仕えまつらむ 黒酒白酒(くろきしろき)を

   文室知努真人(ふみやのちののまひと)(巻十九 4275)

 

<訳>

天地とともに遠い遠い先の万代までお使えいたしましょう

このめでたい黒酒や白酒を捧げて 

 

<背景>

天平勝宝四(752)年の新嘗祭の後に催された、肆宴(とよのあかり)といわれる宴会で

孝謙天皇の詔に応じて詠まれた歌。

新米で造った固粥と神酒を捧げて、治世の長久と五穀豊穣を祈ったもの。

肆宴(とよのあかり)の「あかり」は元々、酒で顔が赤くなることをいい、

転じて宴会の意となった。その後、宮中での天皇主催の宴をさすようになり、

現在も皇居の「豊明殿」という宮中大宴会用の殿舎名として受け継がれている。

 

 

◯黒酒白酒

神宮の三節祭で用いられる4種の神酒のうち、黒酒(くろき)と白酒(しろき)は、

陰陽五行説に基づいて黒白二色に構成された神酒で、

現在でも新嘗祭(にいなめさい)や大嘗祭(だいじょうさい)で用意される。

 

927年に編纂された『延喜式』の造酒司の章には、

米、麹、水で10日間ほど醸造してつくった醴酒(あまざけ)を二等分し、

クサギ(恒山・常山・久佐木と書く)という木の根の焼灰を入れたものを黒酒といい、

入れない方を白酒という、とある。

 

大嘗祭においては、斎場院の中に設けられた

黒酒殿(黒木をもって構える)と白酒殿(白木をもって構える)で、それぞれ造られる。

 

1430年の後花園天皇の大嘗祭以降、200年以上にわたり大嘗祭・新嘗祭の中絶した混乱期となり、

炭製造の手間を省き、黒い着色のために烏麻粉(磨り黒ゴマの粉)を振りかけた記録がある。

1687年の東山天皇の大嘗祭で、『延喜式』の醸造法が復活し、引き継がれた。

 

 

◯クサギ(シソ科の落葉小高木)

Clerodendrum trichotomum

日当たりのよい原野などによく見られ、日本全国のほか朝鮮、中国に分布する。

葉を触ると、一種異様な臭いがするのがこの名の由来である。

花は8月頃咲き、よい芳香があるとして、欧米では観賞用に栽培され、街路樹に用いられる。

 

(英語名はharlequin glory bower)

関連画像パリ15区の街路樹(wikipediaより)

茶の他に、ゆでれば食べることができ、若葉は山菜として利用される。

果実は草木染に使うと媒染剤なしで絹糸を鮮やかな空色に染めることができ、

赤いがくからは鉄媒染で渋い灰色の染め上がりを得ることができる。

クサギの果実。赤いのはガク空色の果実と赤色のがく(wikipediaより)

 

『延喜式』の宮中の医薬を扱った典薬寮の章では、

クサギを、古代中国で用いられた漢字「恒山」と表記し、 

伊勢国から恒山10斤を朝廷に納めることを規定している。

恒山とは、中国の泰山などの名山五嶽の一つで、山西省北東部、北京の西約200kmにあり、

古代中国皇帝が居を構えた中原地方から、北に位置する。

五行説では北は黒色を意味し、クサギは黒を象徴することから

黒酒を造るのにクサギを用いられたと考えられる。

2019 / 11 / 01  12:51

「冬至」「新嘗祭(大嘗祭)」(11月 クサギ)

「冬至」(2019年は12月22日)

 

古代は、1年の始まりは、冬至とされていた。

中国では冬至を元旦としていたため、冬至を「唐の正月」と呼ぶ。

その名残で、現在でも冬至は暦の基準となっており、

中国や日本で採用されていた太陰太陽暦では、

冬至を含む月を11月と定義し、11月を基準に満月を堺として次の月以降の暦が決まる。

 

冬至は一年のうち最も昼が短くなる「日短きこと至る(きわまる)」日であり、

太陽の力が一番衰え仮死し、そして再び太陽が力を取り戻し帰り来る「一陽来復」の日と考えられた。

一旦死にかけた太陽の復活を願う鎮魂(「タマフリ」)の信仰行事は、世界各地の民族に見られる。

古代日本の民間でも、囲炉裏を開き火を入れたり、炉の火を新しく替えるたりすることで太陽を復活させ、

人も太陽と同様に新たな生命力を得ようとした。

いまも茶道では、冬至直前の陰暦の年末にあたる、亥の月亥の日に、

夏の間の風炉(ふろ)を撤して「炉開(ろびらき)」を行い、合わせて

お茶壺の口を切って新茶を味わう「口切(くちきり)」を行って、お茶人の正月として祝う。

 

「新嘗祭」

「新嘗祭」とは新穀を天地の神々に捧げて豊作を感謝し、

神と人とがともに食する祭のこと。(1ヶ月前に行われる神嘗祭は神に供えるだけ)

文献上では『日本書紀』に見られる皇極天皇元年(642)年11月16日の新嘗祭の記述が最初とされる。

 

古代日本人は、稲穂を摘むことで穀霊は一旦死んでしまうと考えていたので、

その復活を願って、持ち帰った初穂を寝具にくるんで添い寝をし、

新しく生まれてくる稲魂(いなだま)のすこやかな生育を祈った。

そのうえで、そのとった新穀を臼に入れ、復活の唄を歌いながら杵で搗く。

白米となったものを、火を新しくした竈で炊きあげ、

出来た固粥(かたがゆ=ご飯)と、同じ米で醸した神酒(みき)を供えて、

それらを神と共に飲んだり食べたりすることが新穀感謝の祭であった。

これを新(にいなへ、にへ)と呼び、

復活した新穀を自らの体内に入れることによって、新たな生命(いのち)を得ると信じた。  

 

宮中のみでなく一般庶民もこぞってこの感謝の祭を行なっていたが、

特に、

「新嘗祭」(にいなへのまつり)は、日本の神話に基づき天照大神の子孫であるとされる天皇陛下が、

皇祖に実りを捧げ、また自らも食すことによって新しい力を得て、次の年の国に受け継ぐ行事となっている。

新しい天皇が即位された最初の新嘗祭は「大嘗祭」(おおにへのまつり、だいじょうさい))と呼ばれ、

古式に則って夜を徹して儀式が行われる、天皇一代の最重要な祭祀とされている。

(月桂冠より抜粋含む)

 

冬至のある旧暦の11月中旬の卯の日に行われていた「新嘗祭」は、

明治の改暦以後、新暦11月23日に行われるようになり、日付が固定化して、現在は「勤労感謝の日」となっている。

「新嘗祭」の画像検索結果(伊勢神宮より)  

 

2019 / 11 / 01  10:26

「七五三」「霜月」(11月 クサギ)

「七五三」

旧暦の11月15日(新暦では2019年は12月11日)は「霜月の祭」といわれ、

古来、稲の収穫を終え、神に酒と新穀を供えて恵みに感謝する祭りの日。新嘗祭。

この祭日にこどもの成長を氏神に祈願し、

かつ社会の成員としてのちいを周囲から認めてもらおうというのが七五三の本来の趣旨である。

 

旧暦の11月15日に定着した理由は諸説あるが、

江戸幕府三代将軍徳川家光の袴着の儀の行われた日にちだという説、

また、五代将軍綱吉の袴着の記述を由来だとする説がある。

 

陰陽五行説に基づき、時間・方位と同じく、暦の年月日にも十二支が用いられ、

冬至を含む旧暦11月は、暦の始まりのため、毎年必ず十二支の最初の「子の月」になる。

さらに、旧暦(太陰太陽暦)なので、15日は毎月ほぼ満月になる。

旧暦11月15日は、暦の最初の子の月の、満月の日という特別な日にあたり、

「袴着の儀」という我が子の年齢儀礼、通過儀礼を執りおこなった。

 

旧暦と新暦では約1ヶ月のずれがあるが、日程だけ引き継がれ、

11月15日に、3歳の男女児・5歳の男児・7歳の女児に晴れ着を着せて神社に詣でる。

親類や近所を訪ねて千歳飴を配り家庭で祝膳につくのがならわし。

子供の成長の段階を衣服や髪の形ではっきり示して祝ったもの。

本来は内祝いで、親戚やごく親しい人が祝う。

 

文献上では、中世に

公家では、2・3歳で「袴着」を行い、

武家では、3歳で「髪置」といって

頭に綿をいただかせて白髪になぞらえ白い苧(お)でくくる儀式があった。

中世も末になると、

男女ともに5歳でつけ紐をとって小袖を着せ帯を締めさせる式があり

これを「紐とき」とか「帯なおし」と呼んだ。

それまでの一つ身の着物を三つ身に仕立て変えるため「三つ身祝」ともいう。

袴着袴着「加賀藩年中行事図絵」より

髪置髪置「加賀藩年中行事図絵」より

関連画像帯解き

 

七五三行事の基になったものはもともと民間に古くからあった。

地方では七五三といわないだけで都会とは異なる3歳・5歳・7歳の行事があった。

3歳は、子供が成長していく一つのヤマと考えられ、

この年に「紐落とし」「帯結び」「帯祝」として祝う。

この祝を4歳に行い、以後四つ身の着物を着せるので「四つ身祝」と呼ぶ地方もある。

5歳の祝は、ふつう男児の袴着の祝として知られているが、女児についてする土地もある。

7歳は、幼児期の終わりとして男女児ともに重要な境目とされ、祝の後で、子供組という組織に加わる。

明治以来の国民教育が7歳(満6歳)から始められているのは意味深いものがある。

 

「霜月」(しもつき)

旧暦十一月の別称。霜が降る月というところから、霜降付き、霜見月。

年貢の新穀を収める月であるところからシテオサメ月の略との説もある。

英語のNovemberの、novemはnineの語源であり、ローマ暦では本来は9番目の月のことであった。

ユリウス暦で7月をJuly(ジュリアスの月)、 8月をAugustとしたので、繰り下がって11月になった。 

2019 / 09 / 29  13:44

「(作者不詳)尾花(すすき)」巻十 2100 (10月 尾花)

  人 皆は 萩を秋といふ

  よし吾は 尾花が末を 秋とは言はむ

  作者不詳(巻十 2110)

 

<訳>

人はみんな、萩が秋を代表する花さと言うが、よしやそうでも構わない。

私は尾花(=すすき)の咲いた穂先の美しさをこそ、秋の風情唯一だと言おうと思う。

 

<背景>

萩は万葉集で142首と最多数で詠まれており(次は梅で119首)、

葉を茶に、根を漢方に、樹皮は縄、実は食用と、とても身近な植物であった。

ここでは、人々が萩を鑑賞するのに対して、尾花の美を提案している。

尾花は、稲・粟・稗などの収穫期に重なり、

稲と同じイネ科のすすきは、雄大な大地と秋の豊穣のシンボルでもある。

盛りの芒の穂末の美しさにその豪華さと秋侘びた趣を感じて詠んだ、尾花礼賛の歌。

 

◯萩を秋といふ:秋の特色あるもの、秋の尤物(ゆうぶつ、すぐれたもの)、秋の代表としてもてはやす意味

◯よし吾は:上の文を受けて、それはそれとして、の意味。

◯尾花が末:尾花は穂先の蘇芳色が殊に目を引くからであるという。山上憶良が秋の七草に詠んだ。 

 ( ⇨ 「山上臣憶良 七草花」巻八 1537, 1538 はこちら )

 

鈴木其一の‘芒野図屏風’(19世紀 千葉市美).jpg 

(鈴木其一『芒野図屏風』千葉市立美術館蔵)

2019 / 09 / 29  10:37

「尾花(すすき)」 (10月 尾花)

「芒(尾花、萱)」(かんなづき)

芒(すすき)尾花(おばな)萱(かや、わすれぐさ)。イネ科多年草。

広くアジアに分布、中国日本が原産。

ススキは日本の秋の風物詩であるが、

生活用材として、屋根ふき材料、炭俵、草履、すだれ、ほうき、パルプ、

若葉を家畜飼料、枯草を燃料、と捨て所なく役立ってきた。

「ススキ」は一名を「カヤ」といい、その穂に出たものを「ヲバナ」という。

いずれも同物で、「ヲバナ」は「ハナススキ」とも。

万葉集では、ススキ17首、ヲバナ19首、カヤ11首と、合計43首に詠まれている。

ススキは「すくすく立つ木(草)」の意味とも言われ、

カヤは刈屋根の意味で刈って屋根をふく意味であろうとも言われる。

尾花は花穂をさした意味で、郷土玩具「芒木菟(みみずく)」は雑司が谷鬼子母神の縁起物として有名。

カヤは最も古い名で、おそらく神代の前から称えられてきたものといわれる。

漢字の「芒」にはクサムラ(叢)の義がある。

茎葉が密に叢をなして株から生えるので、上代人がススキを形容した文字。

また日本では「薄」の字が慣用されているが、これはあくまで国訓である。

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(雑司が谷鬼子母神「すすきみみずく」wikipediaより)

 

 

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