万葉の花 flower story
「(作者不詳)尾花(すすき)」巻十 2100 (10月 尾花)
人 皆は 萩を秋といふ
よし吾は 尾花が末を 秋とは言はむ
作者不詳(巻十 2110)
<訳>
人はみんな、萩が秋を代表する花さと言うが、よしやそうでも構わない。
私は尾花(=すすき)の咲いた穂先の美しさをこそ、秋の風情唯一だと言おうと思う。
<背景>
萩は万葉集で142首と最多数で詠まれており(次は梅で119首)、
葉を茶に、根を漢方に、樹皮は縄、実は食用と、とても身近な植物であった。
ここでは、人々が萩を鑑賞するのに対して、尾花の美を提案している。
尾花は、稲・粟・稗などの収穫期に重なり、
稲と同じイネ科のすすきは、雄大な大地と秋の豊穣のシンボルでもある。
盛りの芒の穂末の美しさにその豪華さと秋侘びた趣を感じて詠んだ、尾花礼賛の歌。
◯萩を秋といふ:秋の特色あるもの、秋の尤物(ゆうぶつ、すぐれたもの)、秋の代表としてもてはやす意味
◯よし吾は:上の文を受けて、それはそれとして、の意味。
◯尾花が末:尾花は穂先の蘇芳色が殊に目を引くからであるという。山上憶良が秋の七草に詠んだ。
( ⇨ 「山上臣憶良 七草花」巻八 1537, 1538 はこちら )
(鈴木其一『芒野図屏風』千葉市立美術館蔵)
「尾花(すすき)」 (10月 尾花)
「芒(尾花、萱)」(かんなづき)
芒(すすき)尾花(おばな)萱(かや、わすれぐさ)。イネ科多年草。
広くアジアに分布、中国日本が原産。
ススキは日本の秋の風物詩であるが、
生活用材として、屋根ふき材料、炭俵、草履、すだれ、ほうき、パルプ、
若葉を家畜飼料、枯草を燃料、と捨て所なく役立ってきた。
「ススキ」は一名を「カヤ」といい、その穂に出たものを「ヲバナ」という。
いずれも同物で、「ヲバナ」は「ハナススキ」とも。
万葉集では、ススキ17首、ヲバナ19首、カヤ11首と、合計43首に詠まれている。
ススキは「すくすく立つ木(草)」の意味とも言われ、
カヤは刈屋根の意味で刈って屋根をふく意味であろうとも言われる。
尾花は花穂をさした意味で、郷土玩具「芒木菟(みみずく)」は雑司が谷鬼子母神の縁起物として有名。
カヤは最も古い名で、おそらく神代の前から称えられてきたものといわれる。
漢字の「芒」にはクサムラ(叢)の義がある。
茎葉が密に叢をなして株から生えるので、上代人がススキを形容した文字。
また日本では「薄」の字が慣用されているが、これはあくまで国訓である。
(雑司が谷鬼子母神「すすきみみずく」wikipediaより)
「月」「神無月」 (10月 尾花)
「月」
月齢(月の満ち欠け)をつかさどる月は、農耕生活と深く関わり、
夜空に美しく輝くことから神(月読命)が宿るものとして信仰の対象とされた。
『日本書紀』によれば、月読命が食物神の保食神(うけもちのかみ)を斬り殺した結果、
その死体から牛馬や繭、栗、稗、稲、麦、大豆、小豆といった穀物が生じたとされる。
万葉集では、月を詠んだ歌は200首近い。
月、月夜、朝月夜、夕月夜、若月(三日月)、居待月(月が出るのを待つ)、
月読壮士(つきよみおとこ。月を擬人化したもので男を意味する)などの表現の他、
「十六夜」という語も生んでいる。
月の夜を十六夜、立待ち、居待ち、寝待ちと呼ぶ言い方が平安期に定着するが、
多分に恋愛用語として成立したものと思われる。
( ⇨ 「お月見」について はこちら )
「神無月」
旧暦十月の別称。
神々が出雲大社に集まるため神がいなくなるというのは、平安時代『奥儀抄』などに見える俗説。
出雲大社で神在祭が行われるようになったのも中世14世紀半ばから。
語源や呼び名は以下のように諸説あり不明。
神無月(「な」は「の」の意(水無月=水の月)で、神の月、神祭りの月)
醸成月(かみなんづき 新米などで酒を醸造する月)
神嘗月(かんなめづき 新嘗祭(にいなめさい)の準備をする月)
雷無月(かみなかりづき 雷がほとんど無い月)
初霜月(初霜が降りる月)
建亥月(けんがいげつ「建」の文字は北斗七星の柄を意味し、その柄が旧暦で亥の方位を向く)
英語のOctober(オクトーバー)の、octはラテン語で第8の意味で、本来はローマ暦8番目の月という意味。
ユリウス暦を制定したジュリアス・シーザーが、7月をJuly(ジュリアスの月)とし、
帝政ローマ初代皇帝アウグストゥスが、8月をAugustとしたので、
2つ繰り下がって10月になった。
中世フランスでは収穫月、中世イギリスでは大麦月、現代スイスでは収穫月と、各々呼ばれている。
(酒井抱一『秋草鶉図屏風』山種美術館蔵)
「山上臣憶良 七草花」巻八 1537, 1538 (9月 七草花)
山上臣憶良秋野花を詠める二首
其一 秋の野に 咲きたる花を 指(をよび)折りて
かき数ふれば 七首の花
其二 はぎが花 尾花くず花 なでしこの花
をみなへし またふぢばかま 朝顔の花
山上臣憶良(巻八 1537, 1538)
<訳>
秋の野に咲いている花、その花を、いいかい、こうやって指を折って数えてみると、
七種の花、みててごらん、七首の花があるんだぞ。(其の一)
一つ 萩の花、うん、二つ 尾花(芒)、三つ 葛花、そうそう、四つ なでしこ、そうそう、五つ おみなえし、
まだあるぞ、六つ 藤袴、七つ 朝顔(桔梗)。うん、そうだよ、これが秋の七種の花なんだよ。(其の二)
<背景>
憶良が二首あわせて、秋の七種を子供相手に指折り数えている歌。
秋の七種の花を数えた最初の歌として名高い歌。
元来この七草の花は日本全体に分布しており、至る所で秋を彩っている。
片手(右手)を高々と掲げ、子供にむけて数えてみせる行為が想起される。
五つを数えきって右手は拳に握られている。次を数えるために左手を揚げ、
「またふぢばかま」と左手も親指から握っていって、
七草を数えきる動作がよみこまれている微笑ましい歌。
◯「七」:神秘で神聖な数字。多数、多産、多作を意味する。
◯「また」:漢籍からきた用法で、特に仏名をならべる漢訳仏典に多く、記紀にも例がある。
七草の原点は、古代日本の「若菜摘み」という風習(年初に雪の間から芽を出した草を摘む)とされる。
しかし、現在の七草粥の風習は、
中国の「七種菜羹」という習慣(旧暦一月七日「人日」に7種類の野菜入りの羹を食べて無病を祈る)が
日本文化・日本の植生と習合して生まれ、形だけが残っているため、七草、七種、など元々の意味がわからなくなっている。
元々の「七草」は秋の七草を指し、山上憶良が詠んだ歌に由来するといわれる。
秋の七草では、摘んだり食べたりなど行事として何かをする風習はなく、鑑賞するためのものであり、
花野(秋の野花が咲き乱れる野原)を散策して短歌や俳句を詠むことが古来より行われていた。
◎山上憶良(やまのうえのおくら)
斉明天皇六?(660)年〜天平五?(733)年。奈良時代初期の貴族・歌人。
39歳で第七次遣唐使の少録に任ぜられ、翌年に唐で儒教や仏教など最新の学問を研鑽したため、
人間に普遍的な苦悩や歓喜に敏感で、社会的な矛盾への観察眼があった。
役人の立場にも関わらず、社会的弱者の情感を叙情的に詠んだ歌を多数残した、異色の歌人。
東宮・首皇子(のち聖武天皇)の侍講を務め、神亀三(726)年頃に筑前守に任ぜられ任国に下向。
大宰府に着任した大伴旅人と共に「筑紫歌壇」を形成し、
元号『令和』の原典となった梅の宴でも歌を詠んでいる。
( ⇨ 「大伴旅人 梅花の宴」(新元号「令和」について)はこちら )
(「いくつ知ってる?色とりどりの秋の七草 - ウェザーニュース」weathernews.jp より)
「長月」「お月見」(9月 七草花)
「長月」(ながつき)
旧暦九月の別称。この月は秋の半ば(仲秋)となり、ひんやりとした冷気の訪れを感じさせる季節。
「長月」は、夜が次第に長くなる月=夜長月を略したもの。
稲熟(いなあがり)月、稲刈(いなかり)月、穂長月などが変化したものとする説がある。
英語のSeptemberの、septはsevenの語源であり、ローマ暦では本来は7番目の月のことであった。
ところが、ユリウス暦を制定したジュリアス・シーザーが、7月をJuly(ジュリアスの月)とし、
帝政ローマ初代皇帝アウグストゥスが、8月をAugustとしたので、
繰り下がって9月になった。
中世フランスでは収穫月、中世イギリスでは大麦月、現代スイスでは収穫月と、各々呼ばれている。
「お月見」
陰暦八月十五日(2019年は9月13日金曜日)に、名月を賞する風流な行事。
夏の主役が太陽だとすると、夜がだんだん長くなる秋の主役は月といえる。
観月行事のルーツは、お月さまが欠けては満ちることに因み、
収穫を感謝し、祖先の霊を偲ぶ儀式であった。
そこに、中国の「仲秋節」が結びついていまの風習になった。
中国では旧暦(農暦)八月十五日に、月餅 (げっぺい) や瓜、果物を庭に並べて月に供え、枝豆や鶏頭花を捧げて楽しむ。
いまでも中華圏では、春節、清明節、端午節、と並ぶ重大な行事であり、三大取引決済期の一つとなっている。
陰暦での秋は、七月(初秋)、八月(仲秋)、九月(晩秋)。(太陽暦では8月、9月、10月にあたる)
なかでも、八月仲秋(いまの9月)と、九月晩秋(いまの10月)の美しい月の出る日を
以下のように色々な呼び方で余情を楽しんだ。
八月仲秋
十四日「待宵」、十五日「十五夜」「仲秋(良夜)の名月」「芋名月」、十六日「十六夜」、
十七日「立待月」、十八日「居待月」、十九日「臥侍月」、二十日「更待月」
九月晩秋
十三日「後見月」「豆名月」「栗名月」「女名月」
「十五夜」=仲秋の名月
陰暦八月十五日夜の月のこと。芋名月ともいわれる。
里芋、さつま芋などの芋を中心に団子、柿、枝豆などの秋の味覚を
芒や秋草とともに供える。
十五夜なので、供え物の数は十五ないし五の数を供える。
「十三夜」=後見月、名残りの月
陰暦九月十三日夜の月のこと。栗名月、豆名月ともいわれる。
日本独自の風習で中国にはない。
十五夜を祝って、十三夜をいわないことを、「片見月」といって忌み嫌う。
供え物の数は、十三ないし三の数でまとめる。