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2019 / 04 / 04  14:46

「大伴旅人 梅花の宴」(新元号「令和」について)

<背景>

天平二年(730年)正月13日、筑紫太宰府の長官 大伴旅人の邸で、盛大な観梅の宴が開かれた。

筑前守 山上大夫(山上憶良)はじめ、小野老、粟田大夫など、筑紫の国司や大宰府官人たち

32名が集まり、梅の花の美を賞で、皆で32首の歌を詠んだ。

このときの宴会はいわゆる「梅花の宴」と称され自然の景物が雅やかな目で捉えられ、

官人貴族たちの宴席を彩るようになった画期的な催しとされる。

序文は漢文。歌はヤマトコトバ。

=参考=

 梅花の宴の当日主催者である大伴旅人の歌

  わが苑に 梅の花散る ひさかたの 天より雪の 流れ来るかも

                    主人 (アロジ)(巻5-822)

  訳)私の庭園の梅の花が頻りに散っている。

    いやあれは梅の花ではなく、はるか大空から

    雪が舞い降りてきているのではなかろうか。

    まことに綺麗なことだ(落花のおもしろさを詠んでいる)

 

◎大伴宿禰旅人

万葉第三期の歌人。天智天皇四年(665年)壬申の乱で功績を上げ、佐保大納言と呼ばれた

大伴安麻呂の長男。大伴氏は古来から物部氏と共に武門を司る日本有数の名門旧家と考えられている。

旅人も名門貴族の長として中央にあったが、新興勢力である藤原氏の圧迫を受けるようになり、

神亀五年(728年)太宰府の帥として筑紫に下った(64歳)。筑紫下向は左遷に近い意味を持っていいた。

筑紫にあって旅人は文雅の世界に強く傾倒した知識人としての素養を発揮し、山上憶良らと文学上の交流を深め、

いわゆる筑紫歌壇の中心人物となる。天平二年(730年)の冬に大納言として帰京を果たすが、

翌天平三年七月二十五日(731年8月31日)、67歳でなくなる。妻は大伴郎女。家持、書持の父である。

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「大伴旅人」(菊池容斎画、明治時代