万葉の花 flower story

2019 / 04 / 29  13:40

「端午の節句」「薬狩」(5月かきつばた)

「端午の節句」

中国では古来より、端午の日(旧暦五月の最初の午の日)に野に出て薬草を摘み、

野遊びや舟競渡を行い、蓬()で作った人形や虎を戸口や軒にかけたり、

粽(ちまき)や柏餅を食べたり、菖蒲を浸した酒を飲んだりなど、

厄災を祓うための行事が行われていた。

中国から日本にこの行事が伝来し、

「日本書紀」には推古十九(611)年五月五日に、

菟田野(奈良県の宇陀の大野という意味)で薬猟をしたと記される。

推古期頃から宮廷行事に取り込まれ、天武期以降定期的に行われるようになった。

聖武期になると走馬や騎討などが盛大に催され、宴では田舞が行われた。

「推古天皇の薬狩り」星薬科大学の壁画.jpg

「推古天皇の薬狩り」星薬科大学の壁画(くすりの博物館 もうひとつの学芸員室より)

 

「薬狩(猟)」

中国から伝来した端午の節句が、

日本でも推古天皇(611年)の頃から宮廷行事に取り込まれ、

菖蒲や蓬の蘰(かつら、つる)をつけて不浄を祓い健康を祈った。

天武朝以降は定期的に行われるようになった。

また、中国伝来の採薬習俗の影響を受け、

節日である五月五日に採取した薬品は特効があるとされていた。

狩の衣服を整えて山野に出て、男性は鹿を猟りしてその若い角(鹿茸ロクジョウ)を採り、

女性は薬草を摘む。「薬狩」と称して華やかに行われた。

狩猟ではあるが、遊楽的な色彩が強く、「薬狩」ののちに盛大な宴が催された。

しかし奈良時代(710年以降)には殺生禁断政策の影響もあって形骸化し、

宮門付近で行われる騎射(ウマユミ。流鏑馬の類)へと変化していった。