万葉の花 flower story

2019 / 06 / 30  17:51

「柿本人麻呂 七夕」巻十 2040(7月ほおずき)

 牽牛(ひこぼし)と 織女(たなばたつめ)と 今夜逢ふ

 天の河門(かわと)に 波立つな ゆめ

  柿本朝臣人麻呂(巻十 2040)

<訳>

牽牛星と織女星がやっと逢える七夕の今宵、天の川の渡し場に、どうか波など立ててくださいますな。

(せっかくの逢瀬がかなわなくなってしまいますから。)

<背景>

七月七日の夜、いつもは天の川を中心にして隔たっている牽牛星と織女星が年一回だけ会えるという中国伝来の故事にちなむこの日、宮廷では華やかに雅会が催された。

七夕歌は天武持統朝から盛んに宴席で作られるようになったとみられ、

万葉集には132首もの七夕歌がある。

柿本人麻呂

生没年、経歴は未詳。大化元(645)年前後の生まれらしい。

天武朝から持統文武朝にかけて活躍した宮廷歌人。古代豪族和邇氏から出た粟田・小野氏らとの同族。

出身地は天理市櫟本(いちのもと)町。

天武天皇十三(684)年、臣(おみ)姓より、朝臣姓を賜る。

声の歌の要素の大きい初期の万葉から、文字に書かれる歌へと転換期にあって、抒情的な歌を多く作っている。

古来、和歌の神として尊崇され、

大伴家持は倭歌の学びの道を「山柿之門」(万葉集巻十七)と称し、

紀貫之は「うたのひじり」(古今集仮名序)と呼び、

藤原俊成は時代を超越した「歌聖」(古代風躰集)として仰いだ。

 柿本人麻呂(狩野探幽『三十六歌仙額』).jpg

(狩野探幽『三十六歌仙額』柿本人麻呂)