万葉の花 flower story
「新田部親王の婦人 蓮」巻十六 3835(8月はす)
勝間田の池は 我知る 蓮無し
然言ふ君が 鬢無きが如
新田部新王の婦人(巻十六 3835)
<訳>
あなたは勝間田の池の蓮が美しく咲いているとおっしゃいますが、
勝間田の池は私もよく存じております。蓮なんてございません。
そうおっしゃるあなたのお顔にはお髭がないのと同じでございます。
◯勝間田池:詳細不明。奈良市西の京、唐招提寺と薬師寺の近くにあったという池。
また、現存する薬師寺南西の七条大池のことともいわれる。
七条大池は、池越しに薬師寺の伽藍、遠くに若草山、春日山原始林など、奈良を代表する羨望で有名。
◎新田部親王の婦人
◯婦人(をみなめ):ご寵愛の婦人のことをさす。
◯新田部親王(にいたべしんのう):
生年不明、天平七(735)年没。
奈良時代に生きた天武天皇の第7皇子。母は藤原鎌足の娘、五百重娘(おいえのいらつめ)。
舎人(とねり)親王とともに、のちの聖武天皇である皇太子首(おびとの)皇子を補佐。
藤原不比等(ふひと)の死後、軍事を掌握し、神亀六(729)年の長屋王の変では王を尋問した。天平三(731)年に畿内大惣管となる。
唐招提寺は親王の旧宅跡を鑑真に授けて建てられたものである。
<背景>
新田部親王が勝間田の池で見た蓮があまりにも美しかったので、
「水影涛々 蓮花灼々 何怜断腸 不可得言」
(勝間田池の水面の影は波に揺れ、蓮の花は美しく咲いていて、その面白きこと言葉に尽くせないほどだった。)
と語るなかで、中国語発話で同じ音である、蓮(れん[lien])と恋(れん[lien])をかけて思わせぶりに詠んだことに対し、
婦人が「気持ちなんてちっともないでしょうに」と戯歌を作って軽くいなして応えたもの。
◯「我知る」:挿入文。勝間田の池の蓮花を讃美されて言われたことを指す。
◯「鬢無きが如」:鬢(びん)は耳の際の毛のこと。実際の親王は髭鬢が多いのを戯れている。