万葉の花 flower story

2019 / 09 / 02  21:46

「山上臣憶良 七草花」巻八 1537, 1538 (9月 七草花)

山上臣憶良秋野花を詠める二首

其一 秋の野に 咲きたる花を 指(をよび)折りて

   かき数ふれば 七首の花

其二 はぎが花 尾花くず花 なでしこの花

   をみなへし またふぢばかま 朝顔の花

  山上臣憶良(巻八 1537, 1538)

 

<訳>

秋の野に咲いている花、その花を、いいかい、こうやって指を折って数えてみると、

七種の花、みててごらん、七首の花があるんだぞ。(其の一)

一つ 萩の花、うん、二つ 尾花(芒)、三つ 葛花、そうそう、四つ なでしこ、そうそう、五つ おみなえし、

まだあるぞ、六つ 藤袴、七つ 朝顔(桔梗)。うん、そうだよ、これが秋の七種の花なんだよ(其の二)

 

<背景> 

憶良が二首あわせて、秋の七種を子供相手に指折り数えている歌。

秋の七種の花を数えた最初の歌として名高い歌。

元来この七草の花は日本全体に分布しており、至る所で秋を彩っている。

片手(右手)を高々と掲げ、子供にむけて数えてみせる行為が想起される。

五つを数えきって右手は拳に握られている。次を数えるために左手を揚げ、

「またふぢばかま」と左手も親指から握っていって、

七草を数えきる動作がよみこまれている微笑ましい歌。

 

◯「七」:神秘で神聖な数字。多数、多産、多作を意味する。

◯「また」:漢籍からきた用法で、特に仏名をならべる漢訳仏典に多く、記紀にも例がある。 

 

七草の原点は、古代日本の「若菜摘み」という風習(年初に雪の間から芽を出した草を摘む)とされる。

しかし、現在の七草粥の風習は、

中国の「七種菜羹」という習慣(旧暦一月七日「人日」に7種類の野菜入りの羹を食べて無病を祈る)が

日本文化・日本の植生と習合して生まれ、形だけが残っているため、七草、七種、など元々の意味がわからなくなっている。

 

元々の「七草」は秋の七草を指し、山上憶良が詠んだ歌に由来するといわれる。

秋の七草では、摘んだり食べたりなど行事として何かをする風習はなく、鑑賞するためのものであり、

花野(秋の野花が咲き乱れる野原)を散策して短歌や俳句を詠むことが古来より行われていた。

 

   

山上憶良(やまのうえのおくら)

 斉明天皇六?(660)年〜天平五?(733)年。奈良時代初期の貴族・歌人。

 39歳で第七次遣唐使の少録に任ぜられ、翌年に唐で儒教や仏教など最新の学問を研鑽したため、

 人間に普遍的な苦悩や歓喜に敏感で、社会的な矛盾への観察眼があった。

 役人の立場にも関わらず、社会的弱者の情感を叙情的に詠んだ歌を多数残した、異色の歌人。

 東宮・首皇子(のち聖武天皇)の侍講を務め、神亀三(726)年頃に筑前守に任ぜられ任国に下向。

 大宰府に着任した大伴旅人と共に「筑紫歌壇」を形成し、

 元号『令和』の原典となった梅の宴でも歌を詠んでいる。

 ( ⇨ 「大伴旅人 梅花の宴」(新元号「令和」について)はこちら )

 

 

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(「いくつ知ってる?色とりどりの秋の七草 - ウェザーニュース」weathernews.jp より)