万葉の花 flower story

2019 / 11 / 01  12:51

「冬至」「新嘗祭(大嘗祭)」(11月 クサギ)

「冬至」(2019年は12月22日)

 

古代は、1年の始まりは、冬至とされていた。

中国では冬至を元旦としていたため、冬至を「唐の正月」と呼ぶ。

その名残で、現在でも冬至は暦の基準となっており、

中国や日本で採用されていた太陰太陽暦では、

冬至を含む月を11月と定義し、11月を基準に満月を堺として次の月以降の暦が決まる。

 

冬至は一年のうち最も昼が短くなる「日短きこと至る(きわまる)」日であり、

太陽の力が一番衰え仮死し、そして再び太陽が力を取り戻し帰り来る「一陽来復」の日と考えられた。

一旦死にかけた太陽の復活を願う鎮魂(「タマフリ」)の信仰行事は、世界各地の民族に見られる。

古代日本の民間でも、囲炉裏を開き火を入れたり、炉の火を新しく替えるたりすることで太陽を復活させ、

人も太陽と同様に新たな生命力を得ようとした。

いまも茶道では、冬至直前の陰暦の年末にあたる、亥の月亥の日に、

夏の間の風炉(ふろ)を撤して「炉開(ろびらき)」を行い、合わせて

お茶壺の口を切って新茶を味わう「口切(くちきり)」を行って、お茶人の正月として祝う。

 

「新嘗祭」

「新嘗祭」とは新穀を天地の神々に捧げて豊作を感謝し、

神と人とがともに食する祭のこと。(1ヶ月前に行われる神嘗祭は神に供えるだけ)

文献上では『日本書紀』に見られる皇極天皇元年(642)年11月16日の新嘗祭の記述が最初とされる。

 

古代日本人は、稲穂を摘むことで穀霊は一旦死んでしまうと考えていたので、

その復活を願って、持ち帰った初穂を寝具にくるんで添い寝をし、

新しく生まれてくる稲魂(いなだま)のすこやかな生育を祈った。

そのうえで、そのとった新穀を臼に入れ、復活の唄を歌いながら杵で搗く。

白米となったものを、火を新しくした竈で炊きあげ、

出来た固粥(かたがゆ=ご飯)と、同じ米で醸した神酒(みき)を供えて、

それらを神と共に飲んだり食べたりすることが新穀感謝の祭であった。

これを新(にいなへ、にへ)と呼び、

復活した新穀を自らの体内に入れることによって、新たな生命(いのち)を得ると信じた。  

 

宮中のみでなく一般庶民もこぞってこの感謝の祭を行なっていたが、

特に、

「新嘗祭」(にいなへのまつり)は、日本の神話に基づき天照大神の子孫であるとされる天皇陛下が、

皇祖に実りを捧げ、また自らも食すことによって新しい力を得て、次の年の国に受け継ぐ行事となっている。

新しい天皇が即位された最初の新嘗祭は「大嘗祭」(おおにへのまつり、だいじょうさい))と呼ばれ、

古式に則って夜を徹して儀式が行われる、天皇一代の最重要な祭祀とされている。

(月桂冠より抜粋含む)

 

冬至のある旧暦の11月中旬の卯の日に行われていた「新嘗祭」は、

明治の改暦以後、新暦11月23日に行われるようになり、日付が固定化して、現在は「勤労感謝の日」となっている。

「新嘗祭」の画像検索結果(伊勢神宮より)