万葉の花 flower story

2019 / 08 / 09  14:17

「葉月」「お盆」(8月はす)

「葉月」(はづき)

旧暦八月の別称。葉落(はちお)月、穂張(ほは)月、初来(はつき)月の略といわれる。

英語のAugustは、帝政ローマ初代皇帝のガイウス・ジュリアス・オクタビアヌスの尊称アウグストゥス("Augustus"=尊厳のある者)で、自身の名誉記念し、本来はセクリテイスであったのを取り替えて命名した。かのジュリアス・シーザーの養子だったので、

ユリウス暦を制定したジュリアス・シーザーは、自身の生まれ月である7月をJuly(ジュリアスの月)とした。

養子のアウグストゥスは、誤って運用されていたユリウス暦の運用を修正するとともに、自身の生まれ月である8月を自分の名前に変更し、それまで30日であった日数も31日に変更した。

 

「お盆」

陰暦七月十五日(2019年は8月15日)を中心とした、精霊まつりとも祖霊まつりとも呼ばれる。

先祖の霊をお迎え供物を供えて慰める日本固有の魂まつりの風習と、仏教の盂蘭盆会が結合した、今のお盆の形となっている。

十一日:盆花とり(精霊棚に飾る秋花を祖先の霊が漂う山に入って摘む)

十三日:精霊迎え(供物や精霊棚を飾り、迎え火をたく)

十五日:盆、中元(迎え火の煙とともに家に帰ってきた先祖の霊を労る)

十六日:送り盆、送り火(先祖の霊を送る)

送り火の行事として、灯篭流しや、京都の大文字焼きがある。

各地で行われている盆踊りは、もともと盆に訪れる神や霊魂を迎え慰める為に捧げられもので、神迎えと神送りの踊りが中心。

 

「盂蘭盆会」

陰暦七月十五日(2019年は8月15日)を中心とする、精霊祭。

六月晦日の夏越の後に来る初秋の行事。

一年を半期ずつに分けて、前期の始まりが正月、後期の始まりが盆。

本来、正月は祖霊を歳神とし、盆は生御霊に感謝し、家族の繁栄を祈る風習だった。

仏教伝来により、606年に推古天皇が日本で初めて盂蘭盆会を行い、先祖霊を祭る盂蘭盆の思想が民間にも普及したため、

「盆」といえば盂蘭盆を指すようになった。

盂蘭盆:abalambana(梵)が転訛したullabanaの音訳。倒懸(逆さ吊り)の意味。

    釈迦の弟子の目連が、餓鬼道に落ちて倒懸の苦を受けていた母の霊のために

    仏陀に救いを求めたという伝説に基づく。

 盆 :ボンは古くはボニと呼ばれる供物を乗せる器の名称。

 盆花:昔は百草が生い茂っている裏山から故人の精霊がお帰りになると考えられ、

    墓地の草を刈り、道の草も刈ってお迎えした。

    その道の両側に咲いている草花を盆花と呼び、故人が我家へお帰りになる時の道しるべとなった。

    このため灯籠草(ホオズキ)、桔梗、女郎花、萩などの秋草が多く飾られる。

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2019 / 06 / 30  17:51

「柿本人麻呂 七夕」巻十 2040(7月ほおずき)

 牽牛(ひこぼし)と 織女(たなばたつめ)と 今夜逢ふ

 天の河門(かわと)に 波立つな ゆめ

  柿本朝臣人麻呂(巻十 2040)

<訳>

牽牛星と織女星がやっと逢える七夕の今宵、天の川の渡し場に、どうか波など立ててくださいますな。

(せっかくの逢瀬がかなわなくなってしまいますから。)

<背景>

七月七日の夜、いつもは天の川を中心にして隔たっている牽牛星と織女星が年一回だけ会えるという中国伝来の故事にちなむこの日、宮廷では華やかに雅会が催された。

七夕歌は天武持統朝から盛んに宴席で作られるようになったとみられ、

万葉集には132首もの七夕歌がある。

柿本人麻呂

生没年、経歴は未詳。大化元(645)年前後の生まれらしい。

天武朝から持統文武朝にかけて活躍した宮廷歌人。古代豪族和邇氏から出た粟田・小野氏らとの同族。

出身地は天理市櫟本(いちのもと)町。

天武天皇十三(684)年、臣(おみ)姓より、朝臣姓を賜る。

声の歌の要素の大きい初期の万葉から、文字に書かれる歌へと転換期にあって、抒情的な歌を多く作っている。

古来、和歌の神として尊崇され、

大伴家持は倭歌の学びの道を「山柿之門」(万葉集巻十七)と称し、

紀貫之は「うたのひじり」(古今集仮名序)と呼び、

藤原俊成は時代を超越した「歌聖」(古代風躰集)として仰いだ。

 柿本人麻呂(狩野探幽『三十六歌仙額』).jpg

(狩野探幽『三十六歌仙額』柿本人麻呂)

2019 / 06 / 30  17:30

「七夕」(7月ほおずき)

「七夕」(ナヌカノヨ、シチセキ、シッセキ、タナバタ)

中国に古くから伝わる天上界のお星様のお祭り。

一年に一席旧暦七月七日の夜、織女星(琴座ヴェガ)が銀河を渡って牽牛星(鷲座アルタイル)に逢いに来るという七夕伝説と、織女星を祭って裁縫や書道などの技芸の上達を願う「乞巧奠(きこうでん)」の行事が一緒になったもの。

この風習は奈良時代(5〜6世紀頃)に機織の技術を伝えた渡来人によって日本にもたらされた。

さらに日本固有の一年に一度、神に捧げるための衣を乙女が織って豊作を祈る「棚機女(たなばたつめ)」の信仰と、牽牛織女の逢瀬を願う風習が重なりあって「七夕」が「たなばた」と呼ばれるようになった。

(歌川広重 名所江戸八景「市中繁栄七夕祭」).jpg(歌川広重 名所江戸八景「市中繁栄七夕祭」)

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石草流 七夕のしつらい(写真をクリックで拡大表示できます。)

⇨ 石草流のほかの写真はこちら 

2019 / 06 / 28  17:32

「文月」「ほおずき」(7月ほおずき)

「文月」(ふづき、ふみづき)

旧暦七月の別称。七夕に詩歌の文(ふみ)を供えるところから、文披(ふみひろげ)月が略された。

また、稲の穂が実る頃の月を意味する含月(ふふみづき)あるいは、穂見月(ほみつき)ともいう。

他に七夜月、涼月(すずみつき)、親月(ふづき)とも呼ばれる。

英語のJulyは、ジュリアス・シーザーの生まれ月にちなんでつけられたもの。

ジュリアス・シーザーは、エジプトの太陽暦をもとにユリウス暦を制定したローマの武将政治家。

 

「ほおずき」(鬼灯。ナス科の多年生草)

七月の花。文月に咲くのでふうづきからほうづきとなった。

杯形をした小さな花(黄緑白色)を咲かせる。

熱さまし、咳止め、利尿薬に使用。

実は種を除いて子供が口に入れて吹き鳴らして遊ぶ玩具。

西洋ではwinter cherryといい、妖精がランプ代わりにするという(鬼灯)。

『古事記』に八岐大蛇の目を形容してアカガチという表記がある。

江戸時代には七夕の供物にし、お盆の草市にも売られた。

七月十日にほうずき市に参詣すれば四万六千日参詣したのと同じ功徳があるという最良の結縁日。

四万六千日(127年)は人間の最高寿命を指し、一生無病息災で過ごせいると言われる。

お米の一升は四万六千粒。江戸中期享保の頃より始まる風習。

 (国立国会図書館デジタルアーカイブより 嵩岳『生写四十八鷹』黒つぐみ ほうづき).jpg

(国立国会図書館デジタルアーカイブより 嵩岳『生写四十八鷹』黒つぐみ ほうづき)

2019 / 05 / 30  17:19

「持統天皇 更衣」巻一28(6月あじさい)

天皇御歌(スメラミコトノオホミウタ)

春過ぎて 夏来たるらし 白たへの

衣干したり 天の香具山

 持統天皇(巻一28)

2007年「ふみの日」切手「持統天皇」.jpg

(2007年 日本の雅(みやび)を伝えたい ふみの日「百人一首(ひゃくにんいっしゅ)」切手)

<訳>

春が過ぎてもう夏がやってきたらしい。新緑の天香具山の麓には初夏の強い日光に晒された真っ白な衣服が懸かっている。

<解説>

持統天皇

645~703年。大化元年に、天智天皇の第二皇女として生まれる。天武天皇(大海人皇子)の妃で、草壁皇子の母。朱鳥元年(686)天武天皇の崩御に伴い、朱鳥四(690)年に即位し、第41代天皇となる。藤原京を開き遷都。大宝二(702)年二月、58才で崩御。

万葉集のこの歌が後に百人一首に収められ、さらに江戸時代に流行った光琳カルタに描かれた十二単姿のイメージが強い。しかし、持統天皇が生きたのは飛鳥時代であり、装束は形も着方も中国に近かった。肖像画がなかった時代なので、時代考証よりも、雅を象徴する姿が優先され、平安時代に初めて出現する十二単で描かれている。

天皇御歌

藤原宮に天の下知らしめしし天皇の代。持統天皇のこと。

夏来るらし

「来る」は「来+到る」の訳で、くるの意。「らし」は根拠のある推量に使う。夏がやってきたらしい。

白たへ

白い栲(タクまたはタエ。楮コウゾや麻やかじのきの樹皮の繊維で織った布)で製した衣のこと。洗えば洗うほど真っ白に晒される。天の香具山なので、一般人の常用の衣ではなく、夏の神事のための巫女の神聖な斎み衣を指す。

香具山

奈良県磯城郡香具山村(現・奈良県橿原市)。天から降った山だと信じられ、神の依代として神聖視された山。畝傍山、耳成山とともに大和三山と呼ばれる。

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