万葉の花 flower story

2019 / 05 / 01  10:38

「大伴家持 薬猟」巻十七3921(5月かきつばた)

 かきつばた 衣に摺りつけ 丈夫(ますらお)の

 きそい猟(かり)する 月は来にけり

  大伴宿禰家持(巻十七 3921)

東慶寺「日本の工芸シリーズ」 2013年 染司よしおか展 「菖蒲と杜若の色」.jpg

(東慶寺「日本の工芸シリーズ」 2013年 染司よしおか展 「菖蒲と杜若の色」)

<訳>

青紫色の杜若の花摺り衣で着飾った立派な男たちが、夏野を競い合うようにして薬狩りをする華やかな月がやってきたことだなぁ。

<背景>

天平十六(744)年4月5日、独り平城の旧宅において青年であった家持が詠んだ歌。この歌は五月五日の端午の節句にちなむもので、今日の成人式に当たるものと考えられる。また、一人前の男女として儀式的な意味合いをもち、とりわけ恋を成就させることを第一義と考えられていた。家持は華やかな薬狩の日が近づいたのを喜んだのではなく、それをよそにして独り平城の宅にいる淋しさを詠っている。

大伴家持

717(?)〜785年。奈良時代の歌人。三十六歌仙のひとり。大伴旅人の子。越中守(746年6月)をはじめ、中央・地方諸官を歴任。延暦二(783)年中納言。万葉集中歌数最も多く、その編纂者のひとりに擬さられ、繊細で感傷的な歌風は万葉集後期を代表する。

2019 / 04 / 30  12:24

「皐月」「杜若」(5月かきつばた)

「皐月」(さつき)

旧暦五月の別称。田植えもしくは田植月(五月)をサツキという。

サツキのサは早乙女のサと同様に田の神を意味したといわれる。早苗月、五月雨月、幸月ともいわれる。

英語のMayは古代ローマの神マーキュリーMercuryの母マイアMaia(春の神)を

5月1日に奉ったことから名付けられたとされており、また当時は4月28日から5月2日までは

花の神フローラFloraを讃える祭りの日とされた。

 

「杜若」(アヤメ科の多年生草、日本原産)

古くは衣類の染料として「書付け花」の名で呼ばれた。

さらに「カキツバナ」となり「カキツバタ」に転訛した。

万葉の時代から詩歌に詠まれ、鮮やかな緑の長葉の間から紫色の優美な花を咲かせる姿は

いかにも日本的な美しさを感じさせた。

早春から番州にわたり時季ごとに違った風情を見せる。

菖蒲(アヤメグサ)が男性に例えられるのに対し、杜若は女性に例えられる。

アヤメ菖蒲杜若.jpg

千葉県香取市 水郷佐原あやめパーク

2019 / 04 / 29  13:40

「端午の節句」「薬狩」(5月かきつばた)

「端午の節句」

中国では古来より、端午の日(旧暦五月の最初の午の日)に野に出て薬草を摘み、

野遊びや舟競渡を行い、蓬()で作った人形や虎を戸口や軒にかけたり、

粽(ちまき)や柏餅を食べたり、菖蒲を浸した酒を飲んだりなど、

厄災を祓うための行事が行われていた。

中国から日本にこの行事が伝来し、

「日本書紀」には推古十九(611)年五月五日に、

菟田野(奈良県の宇陀の大野という意味)で薬猟をしたと記される。

推古期頃から宮廷行事に取り込まれ、天武期以降定期的に行われるようになった。

聖武期になると走馬や騎討などが盛大に催され、宴では田舞が行われた。

「推古天皇の薬狩り」星薬科大学の壁画.jpg

「推古天皇の薬狩り」星薬科大学の壁画(くすりの博物館 もうひとつの学芸員室より)

 

「薬狩(猟)」

中国から伝来した端午の節句が、

日本でも推古天皇(611年)の頃から宮廷行事に取り込まれ、

菖蒲や蓬の蘰(かつら、つる)をつけて不浄を祓い健康を祈った。

天武朝以降は定期的に行われるようになった。

また、中国伝来の採薬習俗の影響を受け、

節日である五月五日に採取した薬品は特効があるとされていた。

狩の衣服を整えて山野に出て、男性は鹿を猟りしてその若い角(鹿茸ロクジョウ)を採り、

女性は薬草を摘む。「薬狩」と称して華やかに行われた。

狩猟ではあるが、遊楽的な色彩が強く、「薬狩」ののちに盛大な宴が催された。

しかし奈良時代(710年以降)には殺生禁断政策の影響もあって形骸化し、

宮門付近で行われる騎射(ウマユミ。流鏑馬の類)へと変化していった。

2019 / 04 / 04  16:21

新元号「令和」の典拠 「万葉集」巻五 815

[曼朱院本]萬葉集の巻五 梅花謌卅二首并序(梅花の歌 三十二首、并せて序) 京都大学.jpg

[曼朱院本]萬葉集の巻五 梅花謌卅二首并序(梅花の歌 三十二首、并せて序) / 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ 

 

<書き下し文>

初春の令月にして(はつはるのよきつきにして)

気淑く風和ぎ(きよくかぜやわらぎ)

梅は鏡前の粉をひらき(うめはきょうぜんのしろきものをひらき)

蘭ははいごの香を薫らす(らんははいごのこうをかおらす)

<訳>

梅の花の歌32首併せて序文

天平二(730)年正月十三日

筑紫太宰府の長官の老人(大伴旅人)の邸で盛大な観梅の宴が開かれた。

時はあたかも初春の素晴らしい月である。

あたりの気配は快く風は穏やかである。

花咲く梅は鏡に向かって美女が粧うおしろいのように白く咲き、

貴人が帯にさげて粧う香袋のように蘭の香りがたおやかに薫っている。

注)珮は佩に同じ、大帯のこと。嚢(のう)に香を入れて腰に下げた。

2019 / 04 / 04  15:21

「梅」(新元号「令和」について)

梅 (バラ科サクラ属の落葉高木)

中国中央アジア原産。日本には奈良時代に遣唐使によって持ち帰られた。

「万葉集」では、「うめ」(宇米、有米、鳥米、宇梅、于梅)と表記されるが、

平安時代には「むめ」の形が多い。「梅」という外来語の中国語音meiを

「うめ」「むめ」と日本語音の体系に取り入れて表記したことに基づくため。

中国では、高い香りを発しつつ、操をかえないことから「君子の象徴」とされ、

一重白梅、香気の高いものが第一とされた。

日本にあっても舶来の植物として大陸の雰囲気を漂わせた梅は、食用薬用の実用木と同時に、

鑑賞木として貴族階級や文化人に珍花としてもてはやされた。

梅の寓意は、清らかで清楚なイメージから「君子」の他に、

厳寒をめげず花を咲かせる性質から「節操」「清友」「厳寒の盟」、

総ての花に先駆けて咲くところ「花の魁」「東風第一及」などと呼び、人々に讃えられた。

「万葉集」には萩137首についで梅119首と、桜の40余首に比べて花の中で圧倒的に多い。

当時「梅」といえば雪まがう「白梅」が主で、「紅梅」及び「その香り」が主役になるのは

平安時代になってからである。

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